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2011年05月14日

桑の葉の出会い 

   小禄田原の桑
(1988年)6月の27日、南国のキラキラした太陽を想いながら、北の国の梅雨空から逃れるように羽田を飛びたつのだが、空港の案内表示では那覇は小雨とあった。新潟より一ヶ月早い沖縄の梅雨は、いつもならもう明けているはずなのに、この年は長引いていたのである。
 だが二時間半後、初めて目にする南島の空はまぶしいばかりに輝いて、たったいま梅雨が明けていたのであった。新潟とは質の異なる沖縄の陽ざしは、我われの邦が南北にのびてその風土の一様でないことを語っている。
 ムッとする熱気の中を那覇空港の東に面した丘陵地の坂道を歩いていた。小禄の丘陵地は那覇市郊外であるが、家並みの絶えない住宅地である。家々の庭木などは新潟とは違った南国の風情で、樹木の呼び名など通りすがりの私が知るはずもない。道の辺の草むらにも見知らぬものがあって、旅の道であることが実感として意識されてくる。
 この丘陵地の田原に三十余年前の旧友を尋ねての道であり、蒲葵の葉の神秘にひかれての旅であった。

 この丘陵の坂道に沿う石垣のすきまに細い桑の木が生えていた。これが内地のことであれば何のこともなく見過ごす風景のはずであったのに、南島の旅ということで、思いもよらない発見をした気持ちになって足をとめていた。発見は桑の木だけでなく、何本かの青苧も伸びていたのである。

    ( 写真は魚沼で野生の青苧:苧麻
   那覇空港に近い小禄の丘陵地でも同じ青苧に出会う
 )

 雪の魚沼で古来から織りつづけてきた越後布の原料糸になる苧麻である。桑もまた山畑を耕して、蚕を育てた魚沼の記憶がかさなるのだ。小禄田原の桑と青苧には遠い旅の先で、思いもがけもなく同郷の知己にめぐり会った思いがしたのである。そしてこの桑と青苧がここに根付いてきた歴史に想いおよぶとき、一瞬にしてこの遥かな南島が私の魚沼とかぎりなく近いものに思えてきたのであった。

桑の古木をある家の庭隅に見出して立ち止ったとき、近くで私の姿を見つけていた旧友は「桑の葉を手にして見入っているのはヤマトンチュ(大和:本土の人)に違いない」と感じながらも、それが旧知のヤマト人であったことに気付かなかったという。一別して以来二十五年の月日がすぎていたのである。

         つづく 「小禄の丘陵地」



Posted by sab at 23:32│Comments(0)
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